Break it.

朽ちてしまう前に

喉の下の叫び声

日曜日。

初めてのカウンセリング。50分で8000円。同世代の可愛らしい女性の先生でした。まずは今1番強く感じている職場でのストレス。それが前の職場でパワハラに合い半年耐えてから転職活動をしてやっと掴んだ新しい生活での出来事あったこと。両親のこと。障害を持つ兄のこと。私にとって働くということ。パニック障害と言われたことをすぐには受け入れられなかったこと。でももう自分の力では今までの自分に戻れなさそうだということ。それくらいまでしか50分ではお話できなかったけど、これから毎週1回通うことになりました。

その最中は涙も鼻水も垂らしながらではあったものの落ち着いて話せた。家で待ってくれていた母はすぐには聞かなかったものの、紅茶を出してくれて、私が先生とこう話したよ、とぽつぽつ話し始めたのを聞いてくれた。「私とお父さんが真面目にいい子に育てすぎちゃったのもあるよね。ごめんね」って。

そう言われるといつも心がキュッとなる。たしかに障害のある兄を持って子ども心に我慢してきたこともなくはないけど、それにしては経済的にもとても恵まれた家庭で育ててもらって、習い事進学留学一人暮らし、やりたいことはほぼ全てやらせてもらった。両親が兄のことばかり、私は愛されてないなんて思ったことはひとつもない。むしろ今も甘えていて申し訳ないくらいだから一秒でも早くほんとうに自立して安心させたい。そこに無理や嘘はひとつもない。兄がこれまで受けてきた差別的な視線や言葉、対応、いじめに比べたら私の抑制されてきた部分なんてちっぽけで比較にも値しないと本気で思ってる。兄の辛いこと痛かったことをひとつも変わってあげられなかったことへの悔しさのほうが大きい。だから私は自分の人生は自分で立て、立て直していかなきゃって思ってる。今こうしてつまずいてしまってるけど、自分で直していかなきゃって。だって両親亡き将来は私が兄を守ると決めてるから。

本当はこの夏も兄とテレビやDVDを見て、岡山に帰省する約束もしていた。でもこんな体調になってしまって。「一緒に岡山行けなくてごめんね」とこの間電話した時の「うん、いいよ」の一瞬の寂しそうな声が頭から離れない。ごめんねお兄ちゃん。

 

月曜日。

もともと夏季休暇を当てて休む予定にしていたとはいえ、早朝に覚醒して、水を飲んでもう一寝入りしようと思った瞬間、会社の人の顔や嫌なことががーーって浮かんで吐きそうになった。なにこれ。怖くて朝用の薬を慌てて飲んでベッドに潜った。気づいたら昼前だった。

ゆっくり仕度をして区役所で転出の手続きと、胃腸科への問診。心療内科とカウンセラーにかかり始めたことをお伝えしたら少し安心してもらえた。なかなか元気にならないんですと伝えると「焦らずに、ゆっくりでいいからね。と言ってくれた先生。「好きな食べ物、イチゴ?そっか、じゃあイチゴを食べられるようになるのを目標にしようね」とも。優しい方に出会えました。

そのあと新居の契約へ。無事都内の住所を手に入れました。担当者の方も良い人で、地元とのご縁があることもわかり、母がよく言ってくれる「あなたは人と出会う運がある」という言葉をまた思い出しました。

 

火曜日。

また朝方嫌な夢を見て覚醒して、不安と倦怠感が押し寄せてくる気持ち悪さで朝の薬を飲んで、次に目を開けられたのが5時間後。副作用は多少出るとは聞いていたけどこれじゃあ会社に行けないと心療内科に相談へ。少し薬の内容を変えてもらった。それから診断書。パニック障害適応障害で今後も投薬とカウンセリングでの通院・観察が必要です、といった内容でいただいた。これをもって会社に提出したいと思う。

 

水曜日。

新しいお薬のおかげか覚醒せず悪夢も見ずに熟睡できた。母が来てくれて、ゆっくり食事して、部屋の断捨離。体力は続かないので休み休みだけれど、少しずつ引越しも見えてきて、それはいい気分転換になっている。ガス電気やインターネット関係の手続きもほぼ終わり、病人ながらなかなか頑張ったと思う。疲れました。

明日は午後に上司とお話しするアポイントをとった。行けそうだったら行って、お医者さんに言われたことそのままと、考えていることを伝えてこようと思う。

まずは無事に起きられるかな。

神さま、よろしくお願いします。

 

*

最近の応援歌。

アイデア

アイデア

 

無理しないで

今日までの話。

月曜日に復帰して以降の職場。仕事内容はかなり考えていただき、今まで…5月に入社してから先月末倒れるまで、自分でも管理できないほどアサインされていた仕事の半分ほどからは外れて、リーダーも変わり、これでしばらくやってみよう、とセーブしてもらう内容になった。

元々チーム内の信頼関係がなく、でも業務や既定のスケジュールは減らずにキャパオーバー、私が入社した際のマニュアルも引き継ぎも無いに等しかったチーム。仲が悪く、厄介者扱いしている人から離れることだけを考え、自分たちが物理的に離れることを勝ち取ったものの、離れたからこそ疎かになるであろう最低限の「ほうれんそう」をどうしていこうかは誰も考えない。相手のことが嫌いだから。そこに何も知らずに入り、この人たち何なんだろうと思いながらもどうにかこうにかやっていた新人(私)が今回倒れ、仕事内容を制限しなくてはならない。一人だけいらっしゃる、この状況を変えなくてはと様々な手を尽くしてくださる、本来同じ部署ではなく機能的立場的にはこちらのチームで考え形にしたものの実行役だけをお任せすればいいはずの方(以降Tさん)への負担ばかり増えている。

今、物事を順序立てて考えたり、複数の選択肢からひとつを決めるという、これまで至極当たり前にやってきたことができなくなってしまっている状態の私は、まずはそのTさんの采配にとにかく従いついていこうと、復帰して以降、その方からのタスクをひとつずつ、バドミントンのラリーのように返すことを仕事としていました。改めて私が担当すること、それ以外のメンバーが担当することのすみわけをしっかりして、業務全体の見直しも作新もTさん主導でしていただき、ほかのメンバーの業務にも多少変化が生まれた。私はとにかく、「今までこうだったことが→こう変わったから→こうやってね」とTさんに言っていただくことを聞く。1日7時間、お医者様からの指導があるからとはいえ、自分の体としてもそれが限界でした。

 

でも、水曜日。気づいた。元々のチームのメンバーが、何もわかっていない。どうして自分たちの業務にも変化が生まれているのか、どうしてTさんがここまでしてくれているのか、どうして私が業務制限してもらわないといけなくなったかを、わかっていない。Tさんが個人的な時間を割いて考えてくれた説明を聞いているときの感じ、私が質問をしたときの答え方、目線、表情。そもそも今どうしてこうなっているのか、まさか自分たちのこれまでに省みるべき点があったとは思っていないのだなと気づいてしまいました。

その日のうちに、何かあったら言ってねと言ってくれている上長にメールで相談。「今のこんな精神状態なので、考えすぎかもしれないとは思うのですが」と。木曜日の朝、私もTさんもあのメンバーのそういう態度は少し懸念しているけど、今回の変更を受けて仕事が回っていけば落ち着くだろうし、嫌な態度を取る人にはいつか罰が当たるからあまり悲観しすぎないで、と返事がきていた。Tさんも私が落ち着くまではその人たちへ質問や相談をしないで済むように、とにかく何でも自分を通してと完全にレポートラインを変えてくれた。金曜日はメンバーの一人が休まれていたので、顔を合わせずに済んで、私も午後休をとって、やっと、やっと心療内科に行った。

 

母と横浜で合流して、ランチ。食欲はあったので食べられそうなメニューを選んで、母の話を聞いて。いざ食べようとしたとき、母が「よく今週会社行ったね。今はどこがつらい?」と聞いてくれた瞬間涙が溢れて止まらなくなった。まずはご飯を食べよう、胃腸的には食べられそうだし栄養を採らなきゃと思っても、全然止められなかった。しばらく…30分くらいは泣いて、母もただ黙って見てくれていて。少し落ち着いてからお皿の半分くらいの量を食べて、病院に向かいました。

心療内科は昔から家族ぐるみの知り合いが事務をされているところを予約してくれた。赤ちゃんの時からかわいがってくださってる方。すごく久しぶりにお会いしたのにちゃんとした挨拶もできず、申し訳ないなと思いつつ病室へ。60代くらいの男性の先生。「どんな症状でお困りですか?」と聞かれたから、不調が胃腸に出やすくて、こんな薬を飲んできて、でも今回突然倒れてしまって、、と少しずつ答えていたら、2分も聞かないうちに「それ、胃腸じゃなくてパニック障害」「その薬飲んでてもだめだよ、1番だめ」とどんどん誘導され。「胃腸は落ち着いていたけど、転職して、ストレスを強く感じるようになって、今回運ばれた先で心療内科を受診しなさいと言われて」と言い直しても「○○っていう成分が足りないからパニックだよ」と「うつ病」「パニック障害」とどんどんパンフレットと薬の資料を目の前に積み上げられて。(何この人、どうしてもう少し聞いてくれないの、それが仕事じゃないの、どうして決めつけるの、問診票読んだの、どうして決めつけるの?!)と、それこそ本当にパニックになりそうになり、気づいたら自分でも驚くような声色で先生に「もっと話を聞いてほしい、お薬があってないなら変えてほしいし、カウンセリングもしてほしい、楽にしてほしい」と訴えていた。心療内科の初診は1番つらいところを聞いて、今後どの療法をとっていくのかを見極める最初の窓口だというのは聞いてはいたし自分でも調べていたけど、藁をもすがりたい思いの今の私には、その見極めの作業さえも残酷で非情に感じて。たくさん渡された資料を手に病室から出てからは母に頼らないと歩けないくらいだった。なんとか帰ってからお薬を飲んで、母のご飯を食べたら、やっと話ができるようにはなったけど、母が帰ってからはお薬を飲んでいるのにすんなり寝付けなかった。少し落ち着いた私に「自分を大切にして。途中で投げ出すことが嫌いな真面目な性格なのは知ってる。だけど、異動させてもらえるなら、しなさい。お母さんからのお願い。」と言った母の言葉がずっと頭から離れなくて。

 

今朝目覚めたら食事もできたし洗濯もできた。意外と昼寝もしたくならず、交渉していた引越の業者とインターネット契約を決めることもできた。

昨日その場ですぐカウンセリングの予約を取ってもらったので、明日、カウンセラーの先生に会ってきます。初めての先生だけど、事務をしている知り合いの方もお勧めしてくれた先生。どんなお話しになるのか。どんな自分が出てきてしまうのか。

 

倒れてからもうすぐ1か月。「無理しないで」とたくさん言ってもらってきた。その意味をもう一度考えています。

こじ開けた向こう

今日も無事に出勤できました。

先週からヘルプマークをバッグにつけて通勤しているのだけど、今日の帰り久しぶりに本当に満員の時間に乗ってしまってうわ…と思ってたら、すぐおじ様が声かけてくれて。怖くなる前に座って落ち着くことができました。ありがとうございました。

 

しかし体力気力共に4時間くらいしか持たなくなってしまっているようで、仕事の集中力なんて全然、誰かになにかを説明する気力だったり、休んでいた間の仕事のキャッチアップの話を聞いてじゃあその先はどうしようかと考えたり、がまあ続かない続かない。上司がランチに誘ってくれて今回の話ではない世間話もしてくれたけど、そんなこともものすごく疲れた。

 

今日は不在の間母が家に来てくれていて、栄養のある食事を置いていってくれて。すがるようにそれを食べて夜のお薬を飲みました。本当においしい。母の味が一番のお薬ですね。

 

朝起きて支度をする。出勤する。人と話す。食事をする。仕事をする。帰宅する。夕食を食べてお風呂に入る。明日に備える。全て心と身体の健康ありきで出来ていたのだと、お薬に頼りながらも今までの当たり前の幸せを改めて感じながら火曜日を終えて寝るところです。

 

明日も、1ミリくらい上昇できますように。

月曜日

土曜日。

母と待ち合わせて引越し先候補の内覧。

途中何度も電車を降りてお手洗いに寄ってフラフラしつつ、最終候補の2軒を見て、無事に新居を決めてきました。8年ぶりの引越しです。

そのあとは周辺を少し散策したものの、疲れて早めに帰宅。

母とお別れするとき泣きそうになるのは先週よりおさまってきました。

 

日曜日。

前から約束していた友達と、コンサート。久しぶりの頭を使わない時間で、久しぶりにたくさん笑った。

友達とエンタメには本当に感謝です。

 

月曜日。

先週水曜日ぶりに出勤。

駅や電車のすぐにお手洗いに行けない時に急な腹痛と「また倒れたらどうしよう」という不安に襲われることがとにかく怖いので、いつもより早く起きて早めに薬を飲んで、ゆっくり仕度して何度もお手洗いに行って出発。

電車で座ることもできお薬で安定したまま無事出勤し、そのまま仕事も落ち着いて終えられました。

お薬で終始ぽーーっとしているのだけど、それは必要以上に、過度に考え事をして自分を圧迫してしまうことを避けさせてくれているからで、そうじゃなかったら結構辛いだろうなと。

しばらくは残業をしないようにという指導を受けているので、7時間で退社したのだけど、体力気力ともにかなり落ちているようで、7時間でもクタクタでした。

何社か引越し業者を検討して連絡しつつ、テレビを見て、1日を終えようとしています。

 

 

とりあえず、土日と、それを経ての新しい月曜日を始められたことで、少し自信のブロックを重ねられたような気持ちで眠ります。

 

明日も明日が味方してくれますように。

 

 

沈む

今日もお休みしました。

朝方ふと目が覚めて、お手洗いに行き水を飲んで、予定の時間までもう一寝入りしようと思った瞬間、謎の不安感に襲われ止められないほど涙が溢れてきて、これはだめだと。

上司と母に休みますと連絡をして、安定剤を飲み、ベッドに沈むように眠り込んで次に気がついたのは昼の1時過ぎでした。

 

なんだったんだろう。あんなに涙が出て。怖かった。

前の日だってお薬を飲んだから寝られていたのに。

ただでさえ不安定な生理中に今月はこんな状態で、こうなっても仕方ないか、と妥協できる自分と、まだダメなんだ、お腹は昨日より痛くないのにこんなに言うこと聞かないんだ、と怖くなってしまう自分の両方がいる感じ。

 

夕方からは少し落ち着いて食事もできて、せめてもの自信を取り戻すために元々予約していた歯医者に電車に乗って行ってきました。大丈夫でした。母には寝てたよ、と嘘をついたけど。

 

来月の生理の頃にはいつものようにしていられるかな。

明日はどうなるかな。

転職しました

転職しました。

5月1日より新しいところでお世話になっています。

 

ただ、上司に恵まれずというかなんというかで、少し病んでしまっています。

元々の胃腸の不調に加え、不安障害・適応障害。この暑い夏のある月曜日の朝出勤中に倒れて、救急搬送されそのまま入院、自宅療養。

昨日から一応復帰はできましたが、今日は重い生理痛で休んでいます。

 

前の会社でいろいろあって、20代を取り戻したいと思って転職して必死に毎日に、社会についていこうとしていただけなんだけど。自分の身の丈から外れすぎず、ただもう少し先に進みたいと思ってただけなんだけどな。

どうしてこうなったかな。

 

わかっていること・わからないこと。ここに書くことがいつかの自分・いつかの誰かを助けるかもしれないと、少しだけの希望をもってまた書いてみたいと思います。

 

 

 

転職活動の記録1.

年明けから転職活動をしています。

1月にエージェント3件に登録し、それぞれ面談に行き、2月から本格的に応募を始めて、これまで2社に一次面接、他2社の書類選考も進められました。希望としては3月中の決定、4月末現職を退職、5~6月の入社のスケジュールで考えていたのですが、現在いずれも一次面接の段階なので、3月中の決定は難しそうかな。ゴールデンウィークまでに退社を決めて前後ゆっくりできるのがいいなと思っているので、そのために頑張ろうというところです。

エージェントにも伝えている希望の条件がこちら。

  • 事務/バックオフィス業務
  • 残業20時間/月以内でワークライフバランス
  • 通勤がDoor to doorで1時間以内
  • 英語を使える
  • 年収増

今までの職歴と今後を考えてこちらの5点は譲れないかなと。現在選考に進んでいる会社もこちらの条件をクリアしているので応募に踏み切りました。

転職活動は人生で2回目。前回は2年前の同時期でした。紆余曲折あり今回もこの時期に活動をしています。ただ2回目ではあっても、面接というのはやはり緊張するもので、約2週間前に受けた1社目の一次面接は残念ながらお見送りの結果となってしまいました。しかし、同じ企業の別ポジションで書類通過のお返事を今日いただき、また一次面接に進めることになりまして。来週の本番を前にまた準備をしなくちゃいけないけど、3月のスタートとしてふさわしいお話をいただけて感謝です。

求人票や企業情報を見るだけではどんな会社/お仕事なのかは本当にわからなくて。1社目の面接に伺った時に本当にそう思いました。だから面接では、面接官の方とのお話を通してこちらも企業を選ぶつもりで臨むことが大切なんだろうと思います。それができるのも中途採用と新卒採用と違うところ。早く決めてしまいたい…!と焦りもあるけれど、それを忘れずにじっくりしっかり考えていきたいです。